100年後の結婚や、その形態はどうなっているだろうか?

100年後の結婚や、その形態はどうなっているのだろうか?



 少子化、晩婚化、代理出産、同性婚や遺伝子による親子照合と、婚姻にまつわるはなしは後を絶たない。100年前には誰も想像しなかったことが現実の問題となっている。日々の生活を変えるだけでなく、命のもとである遺伝子操作まではじめた科学技術の進歩。宗教という精神的タガがはずれ、いまやとどまるところを知らない状態に向かっている。その一方で、新たな人類の共有財産、集合知といったものや、無数のコミュニティが形作られている。資本主義化が進み金持ちと貧乏人に2極化した、人口過剰の世界で、婚姻の形態はどうなっているのか、その背景となる状況から考えてみた。


 西欧化とその先駆けとなったキリスト教の影響で、この100年で急激に増えた一夫一婦制も、キリスト教自体の影響力の低下により、婚姻の形をかえるかもしれない。一夫多妻制を許容する国々も多くあり、日本も古くは多夫多妻制であった。いずれの宗教であれ、幾千年の時を経て、神秘性や秘密といったものを暴きさらしてしまういまの科学情報化時代に、ひとことでいえば合わなくなった。あるいは生命をあやつる、生命倫理学の分野での精神的支柱の役割を担いきれていないといえよう。多数の教会の売却などとった例をみるまでもなく、かつての神通力は失われつつあることは論をまたない。


 その一方、従来とはことなる権威やグループが形成されている。

ひとつは、これまで特定の専門家や会社が提供してきた知識や道具が、不特定多数の人々の善意によって作られるという、人間の性善説を実証するような動きが広がっている。古くはフリーのオーエス(OS)であるユニックス(Unix)に端を発し現在はリナックス(Linux)として、世界中のサーバーに使われている。かつては、大企業が何万人もの従業員をやとってつくったソフトウエアを、世界中の互いを見知らぬ不特定多数の人々の、名誉以外はなにもえられないといっていい善意だけで、ソフトウエアが作れてしまうのだ。それは、ウィキィペディア(Wikipedia)のような、フリーの百科事典も同じ流れの中にある。ウィキィペディアは生きている集合知とでも呼べるものであり、日々登録単語を増やしながら、その一方、世界中の人々からの監視下で、記載ミスは直ちに修正されてしまう。間違いがあるかもしれないがというウィキィペディア立ち上げ当初の疑いは、下手な紙媒体の事典より信頼できるという、誰も想像しなかった権威化にまで発展している。

もうひとつは、有料にせよ無料にせよ、最初は見知らぬ人々の間でコミュニティが大小無数の規模で形成され、そこには仮想空間の仲間、ファミリィとも呼べる、入会、退会がほぼ自由なゆるいが、しかし心地よいつながりを生み出し続けている。


 先進国においては、そもそも子供の養育のためというタガがはずれてしまえば、婚姻自体の意味があるのか。かつての家事を担うという価値は、今以上に生活が便利になり、介護ロボットや生活圏で利用できる情報機器であふれる100年後は、意味がなくなるだろう。ほかのひとの助けがなくても十分子育てはできてしまうのだ。


 おもしろい例がある。ミジンコの結婚は、環境が悪くなるとおきる。ミジンコを取り巻く環境がいいうちは、いままでメスだけを生んでいたメス親が、環境が悪くなっているとわかると、オスとメスを生み始める。交配により、より多様な環境に耐えられる雑種ともいえる遺伝子をつくるためだ。純血種にくらべ雑種のほうが強いとはよくいわれる。交配と結婚を同一視はもちろんできないが、生物学的な価値は、優性遺伝子の収集と継承、ひとことでいえば雑種化である。冷凍保存された精子や卵子、劣勢遺伝子の選別排除。代理母に遺伝子操作とまですすめば、結婚という形態をとらなくても、優性遺伝子の収集と継承は可能になるだろう。つまり、母親であれ、父親であれ、子供が欲しければ、生殖銀行にいって、ひとりで暮らす生活スタイルのまま、自分の遺伝子を継承した子供を持つことはできるようになるわけだ。


 資本主義社会という、一見平等な機会を与える社会のしくみは、産業革命を経て金持ちは金儲けをしやすく、金のない貧乏人は、低賃金労働に甘んじざるを得ない仕組みとなった。さらに、技術の知識の高度化により、金のかかる高等あるいは専門の教育を長期間受けられなければ、金を稼げない貧乏人に落ちていくという仕組みが加わった。中間的な労働価値がなくなり、仕組みや仕掛けを作る側と、そこで単純労働をする側との分化がすすむのが労働市場の流れだ。結果として、資本主義社会は、金持ちと貧乏人、つまり少数の富裕層と、大多数の労働者階級という、明瞭な線引きと、線引きによる境目自体を拡げる壮大なフィルタとして機能しはじめている。


 現在のいきおいで増え続ける人口は、130億に達し、気候変動や自然の乱開発による食糧供給率の低下は、産児制限をいやおうなくももたらす。その影響は、かつての先進国と、発展途上国はそれぞれ別なかたちであらわれるかもしれない。


 さて、このような社会の変革の中で、100年後の人類は、どういう婚姻形態となっているだろうか。想像してみた。



1.事実婚が増える

貧富の差が広がり、従来の、結婚して家をもって、家族4人で暮らすなどというマイホーム型結婚をするだけの収入のない人たちが増えるだろう。その一方、かならずしも結婚や子供を持つことを目的としない二人またはそれ以上の人数の共同生活の形態は、経済的生活ができるという理由で、次々と生活苦を逃れたい労働者階級を取り込む。結果として、一時的には、シングルマザーが増えるが、国の保護がはいり、事実婚という形態に落ち着く。この婚姻制度の先例はスエーデンに既にみられる。つまり婚姻届けはださなくても、必要なときには子供の養育はできる保護と法制度が広がるだろう。



2.結婚はしないが、生殖バンクで子供をもつ富裕層が増える

単性生殖とでもいうのだろうか。かつての歌手のマドンナのように、子供は欲しいがうるさい亭主はいらないという女性が増える。男性も、ひとりで子供をもつことができ、世話はベビーシッターと高度情報機器や家事ロボットが担う。自分の生活スタイルを変えることなく、仕事を第一に考えるが、子供ももつ人たちが増えるだろう。そういった富裕層は、自身の臓器も予備をバンクに用意するようになり、脳以外はこっそりスペアパーツに入れ替え、入れ替えして、暮らすようになるだろう。



3.世界での婚姻率自体はさがる

産児制限の手段が簡単で高度化し、たとえば薬を一年に1錠飲めば、妊娠しないあるいはさせないということもできるようになる。労働力を必要とする農業から、遺伝子操作された穀物になり、必要な労働力が激減する。これにより、かつての発展途上国でこれ以上人口をふやさない措置が本格的に取られるようになる。興味や趣味も多様化し、結婚自体に魅力を感じる人の数が減っていくような政策がこれらの国々でとられるようになる。子を成すことがなければ、結婚自体に意味を見いだせない人達が増え、現在の結婚という形態の婚姻率は下がっていく。



100年まえは、今日これだけの影響力のあるインターネットの出現を誰も予想しなかった。今後100年間になにが起きているかは、実際のところ誰もわからないだろう。100年後の先進国においては、婚姻という形態をとらず、それでもゆるくつながる人達。既成概念にとらわれず、そのつながる距離間はときと、気分で変わる。ひとりのひとが複数のコミュニティに属するのもあたりまえとなるだろう。経済力を中心とした他者への固定化された依存や期待は減る一方、いったん生まれた子供への手厚いケアはされる社会。生活のために必要な結婚という形は減っていく、そんな100年後を社会背景とともに考えてみた。



(文・TAKASHI)